SETOUCHI MINKA

瀬戸内の匠を訪ねて。~山口県・大工職人~

家は工業製品とは違い、一棟一棟が人間の手作業によってつくり上げられていく。そこに携わるのは家づくりのプロフェッショナリスト、つまり職人たちである。機能性やデザイン性に優れ、自分たちが描く理想の住まいをかなえるには、家づくりの現場を知り尽くした腕利き職人たちの卓越した技術が欠かせない。腕利き職人たちは、自身が手掛ける一棟一棟の家づくりに丹精込めて向き合い、そこに暮らす人々の幸せを祈りながら、今日もひたすら作業に汗を流している。よりよい家づくりと自身の技術向上を追求し続ける山口県の大工職人に、一貫して情熱を注ぎ続ける家づくりへの思いを聞いた。

<取材・文/鎌田 剛史 写真/鈴木 トヲル>

こだわらないことに、こだわる。~大工職人/吉國 辰徳さん~

近年の木造建築において、そのほとんどがプレカット材によって建てられている中、昔ながらの技術を大切にしたいと情熱を傾ける職人がいる。一本一本の木材に墨を付け、ノコギリやカンナを使って手作業で加工する「手刻み」を用いながら、本来の大工としての仕事に全身全霊をかけ、すべての施主に最高の家づくりを提供しようと奮闘する、ひとりの大工の物語である。

大工として、自分が誇れる家づくりがしたい。心の底から突き上げる衝動に身をゆだねて。

周囲にのどかな田園風景が広がる作業場に、シュッ、シュッという風を切るような音だけが響く。めまいがしそうなほどの真夏の強烈な暑さの中で、黙々とカンナ掛けに勤しむひとりの男がいた。額や腕に玉のような汗をにじませながら、両手を一定のリズムで前から後ろへと滑らかにすべらせている。

吉國辰徳さんは大工の道に入って約20年になる。父・清春さんが個人で大工を営んでおり、幼いころから木材や大工道具に慣れ親しんできたこともあって、いつしか自分も大工になろうと思っていたという。高校を卒業し、職業訓練校で1年間学んだ後、とある棟梁の下で大工としてのキャリアをスタートした。「親方はカンナ掛けや刻み、墨付けといった昔ながらの大工仕事をしている人で。最初は難しくて大変でしたね。上下関係も厳しくて」。棟梁や先輩大工からの厳しい指導に耐え、唇をかみしめながらコツコツと腕を磨く日々を過ごした。持ち前の忍耐力と努力の甲斐あって技術はみるみる上達、数年後には何でも自分でできるようになった。だが、「ちょうどそのころからプレカット材が主流になってきて。木を削ったり組んだりといった昔ながらの技術が家づくりに必要とされなくなってきたんです。下積み時代にあんなに苦労して身につけた技を生かすことができないのは、なんともやりきれない気持ちでしたね」。さらに、リーマンショックで仕事が激減したことが決定打となり、7年間いたその職場を去ることを決意した。

吉國さんが大工としての仕事について真剣に向き合い始めたのもそのころだ。「大工としての自分が誇れる家づくりがしたい」という強烈な思いが芽生えたという。思い描く理想の仕事につながればと二級建築士の資格も取得した。「自分ひとりでやっていきたい気持ちもありましたけど、子どもが生まれて家族を養っていかなければならなかったので、叔父の知り合いの会社にお世話になることにしたんです」。

言われたことだけをやるために、俺は大工になったんじゃない。

その会社はハウスメーカーの下請けがメイン。自分が描く理想の仕事とは程遠いものだった。「なんでも指示通りに作業するだけ。そこに自分のやり方や考え方を入れる余地なんてありませんでした。何も考えずにやっていれば楽なんでしょうけど…僕にはできなかった」。吉國さんは次第に「施主に対して申し訳ない」という罪悪感に苛まれるようになってしまったそうだ。「家はお客さまの人生でもっとも高い買い物なのに。憧れのマイホームへの期待に胸をふくらませているのに…。こんなにも機械的で、お世辞にも丁寧とはいえない仕事をやっていていいのかと。毎日葛藤してましたね」。理想と現実とのギャップに耐えきれなくなり、ついには大工を辞めようとまで思い詰めてしまった。

「自分が大工としてやりたい仕事ができる会社はないんだろうと諦めかけていた時、『大工が主体の家づくり』と謳う会社を知って。これが最後かなと思いながら、その工務店の社長に会いに行ったんです」。そこで出会ったのが、現在吉國さんが勤める「永見工務店」の永見淳一代表だ。吉國さんが抱く仕事に対するありったけの思いを受け止め、社員大工として迎え入れてくれた。「社長の家づくりに対する考え方が、まさに僕が描く理想と同じで。ここでなら自分が納得できる仕事ができると確信できたんです」。

吉國さんは大工として現場で腕を振るうのはもちろん、営業として顧客の対応も行っている。「お客さまと直に話せることなんてここに来るまでなかったですから。それぞれの要望をしっかり受け止め、知恵をしぼりながら自分の手で具現化できることに、大工としての喜びを感じます」と目を細める。「永見工務店」は完全注文住宅のみを手掛けており、吉國さんは駆け出しのころから培ってきた技をいかんなく発揮している。「伝統の技術だけにこだわりすぎず、最新の技術もうまく融合させた家づくりをこれからも続けていきたいです。そりゃあ今が一番幸せですよ」。吉國さんはそう言って、この日一番の笑顔を見せた。

吉國 辰徳

1981年5月10日生まれ。山口県山口市「永見工務店」の社員大工。営業との二足のわらじをはき、お客さまに心から喜ばれる家を提供するために忙しい毎日を送っている。現在は自身のマイホームも自らの手で建築中。「子どもたちには大工である自分の背中を見て、何かを感じてもらえたら」と淡い期待を寄せている。

取材協力/株式会社 永見工務店

山口県山口市大内矢田南8丁目19-3
☎083-976-4700
https://kinoie-nagami.co.jp

※文章の内容、写真は2020年の取材当時のものです。

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