SETOUCHI MINKA

瀬戸内の匠を訪ねて。~岡山県・左官職人~

建物の壁を美しく塗り上げる「左官」。職業としての歴史は太古にまでさかのぼり、寺院や城、茶室、蔵など、数々の建築作業には決して欠かせない存在だった。しかし、時代とともに、容易に施工できるビニールクロスなどの工業製品が台頭すると、塗り壁の需要は減少の一途をたどる。近年は職人の数も大幅に減少し、左官にとっては逆風の吹く厳しい時代を迎えている。そんな中でも、左官としてのプライドを胸に、日々さまざまな壁と向き合い続けるひとりの女性職人に出会った。

<取材・写真・文/鎌田 剛史>

家塗るオンナ。~左官職人/平松 ひかりさん~

壁に彩りと輝きを与える、塗りの女性アーティスト。

ふくよかな女性が片手大ぐらいの袋の封を切っている。プラスチック製のバケツに向かって勢いよく落ちていく白い粉末が、澄み渡った朝の空へ舞い上がる。続いて緑色の液体をチューブから搾り出してバケツに加えると、小さなスコップでゆっくりとかき混ぜ始めた。スコップをひと掻きするごとに白と緑がぐるぐると溶け合い、次第に抹茶クリームのようなものが出来上がっていった。

「珪藻土という壁材です。これを今から塗っていきます」と、彼女は少し恥ずかしそうに教えてくれた。手際よく作業の準備を終え、ピンクの帽子をしっかりと被り直すと、ビニールで養生された日本家屋の玄関へと入っていった。

左官道具はすべて自分でそろえ、管理している。塗る材料を載せる「盛板」は手のサイズやリーチに合わせて自作したもの。

平松ひかりさんは左官職人だ。建物の壁や床、天井、土塀などをさまざまな素材で塗り上げ、美しく仕上げるのが仕事である。「左官はすべて手仕事。お客さまが持っているイメージを、どんな材料を使って、どんな技法でカタチにするか。それが、左官の腕の見せどころだと思います」。

珪藻土を載せた盛板を左手に持ち、右手をさっさっと2、3回振って素早くコテに取ると、一気に壁へと手を伸ばす。右へ、左へ。珪藻土が弧を描きながら塗りつけられていく。そこから上下左右にゆっくりとコテを動かすたび、ムラが綺麗に無くなり、壁に新鮮な輝きが増す。大きな面を塗る時はダイナミックに、壁の隅など細かい箇所を塗る時は繊細にと、巧みに強弱を付けながら、美しく仕上げていく。みるみるうちに年季の入った古びた玄関が一変、上品な趣が漂う空間に生まれ変わった。

高所作業では脚立に上り、低い場所では地を這うほど身をかがめながら、さまざまな壁と対峙している。現場の進行状況を確認しながら、てきぱきと塗りが進んでいく。限られた時間内で終えるには、各左官の息の合った連携プレーが必須だ。

額にうっすらにじんだ汗をぬぐい、ひと呼吸ついた後、彼女は乾き始めた壁に再び珪藻土を塗り始めた。「これは下塗り。まだ壁の下地が見えている所もあるので、上からもう一度塗っていきます。塗りの作業は通常2回は繰り返すんです」。どうしても出来てしまう線のようなコテの跡には霧吹きで水をかけ、繊細なタッチで消していく。平たく滑らかに仕上げることも、模様を付けることも自由自在。画家が筆を持つように、左官はコテを巧みに操りながら、壁というキャンバスに彩りを与えていく。

テレビ番組で観た美しい女性左官に憧れて。

幼いころからモノを作るのが好きだったというひかりさん。左官の仕事は性に合っているといい、黙々と作業をこなしていく。代表や先輩達の理解とサポートがあり、支えられている部分が大きいと実感しているそうだ。

左官という仕事に、どんなイメージをお持ちだろうか。ひょっとすると「壁にひたすら泥を塗っているガテン系の仕事」「男くさい3Kの職場」といった認識が一般的かもしれない。たしかに肉体労働であることは間違いないのだが、決して「体力さえあればできる単調で退屈な仕事」などではない。施主が求めるイメージに限りなく近づけられるよう、フルに知恵を絞らなければならないし、一般住宅や店舗など、あらゆる現場ごとに求められる品質もがらりと変わる。さらに、塗り方や素材によって模様の付き方や仕上がりもまったく違ってくるなど、高い技術と創造力を必要とする、むしろクリエイティブな仕事であるといえるだろう。

そんな左官という仕事に就き、ひかりさんは今年で12年目を迎えた。左官になりたいと思ったのは高校生の時。何気なく観ていたバラエティ番組に出演しているひとりの一般女性に興味を持ったことがきっかけだ。「その人はすごく綺麗でオシャレだったんですけど、職業が左官だったんです。見た目とのギャップがすごくカッコ良く見えて。それまで職人に対して抱いていたイメージといえば、無骨で乱暴な感じ。だけど、その人を見て『こういうオンナもアリだな』って思ったんです(笑)」。

高校卒業後は職人を育成する学校に進学。1年間にわたって左官になるための技術や知識を学んだ。そして、卒業時に学校から就職先として紹介されたのが、現在ひかりさんが勤める「夢左官」だ。「学校を卒業した先輩がすでに活躍しているということで、先生から薦められたんです。ただ、女性が少ない業界なのは分かっていたので、いろいろと不安はあったんですけどね」。

母親にも反対された。「上下関係の厳しい職人の世界に進むなんて絶対無理。アンタに続けられるわけがない」と。それでも反対を押し切り、ひかりさんは自分の意思を貫く覚悟を決めた。「お母さんは娘が左官職人だってことがとても恥ずかしかったみたいで、けっして誰にも私の職業のことを言いませんでした。後悔なんてしないって固く心に誓っていたから、私自身に迷いはなかったけど…。それはちょっと、悲しかったですね」。

優しくて温かい職場だから、仕事も子育ても精いっぱい。

ひかりさんは25歳で結婚。ご主人の修一さんとは左官の学校時代からの知り合いで、左官になることを目指していた当時から、ずっと彼女を応援し続けてくれている大切な存在だ。長女の月咲ちゃん(5歳)、次女の稔梨ちゃん(3歳)の母でもあり、子育てにも忙しい日々を送っている。

実は、月咲ちゃんを出産した時、左官を辞めようと決心していたそうだ。「左官の仕事は嫌いではなかったんですけど、子育てと職人の両立はさすがに厳しいだろうなと思って。代表にそう伝えたら『子どもの手が離れたら、パートでもいいから、いつでも帰って来い』って言ってくれたんです。本当にうれしかったですね…」。代表の厚意に感謝しつつ、ひかりさんは2年間の産休・育休を経て、ふたたび会社に戻ってきた。

つぶらな瞳をうるませながらしみじみとエピソードを披露する彼女の横で、代表の神﨑修さんは「そうだったっけ?」ととぼけつつ、照れながら頭を掻いた。「職人の数がどんどん減っている中で、アイツは貴重な人材だから。こんな時代だからこそ、ボクらは女性が母親になっても安心して働けるような職場環境を用意してあげないとダメだよね。そういえば、アイツの子ども達が熱を出して、仕事の間うちのカミさんが面倒見てやったこともあったよなぁ(笑)」。

そんな優しい代表や仲間と一緒だからこそ、この仕事を続けていけるのだと、ひかりさんは言葉に力を込める。「子どもがいるので、どうしても仕事ばかり重視するわけにはいかないじゃないですか。仕事と家庭のバランスを上手にとらないといけないですよね。そんな私を、代表はいつも温かく見守ってくれます。保育所の送迎時間に必ず間に合うようなシフトを組んでくれるし、子どもの急な発熱で休む時にも快く配慮してくれるのでありがたいです。『子どもが待ってるから早く帰ってやれ』と気遣ってもくれるし。少しぶっきらぼうなところもあるんですが、『愛ある毒舌』だって、ちゃんと分かってるので」と屈託のない笑みを浮かべる。

さらに、「同じ学校の先輩でもある宮園さんや後輩の智也くんも頼りにしている大切な仲間。この会社だからこそ、私は左官の仕事を続けられるんだと思っています。だから、仕事は今できることを精いっぱいやりつつ、家のこともしっかりやる。それが今の私の目標です」と前を向く。

そんな彼女に、みんなが厚い信頼を寄せている。「明るくてサッパリした彼女のキャラクターは、いいムードメーカーとして僕達を盛り上げてくれます。普段はこんなこと言いませんから、調子乗っちゃうかも」と、宮園さんは茶化して笑う。「いらんこと言わんといて~」と、宮園さんを突きながら彼女もケタケタ笑うと、たわわな紅いほっぺが、ぷるんっと揺れた。

日々仕事をともにするかけがえのない仲間。左から代表の神﨑修さん、先輩の宮園昌昇さん、ひかりさん、後輩の神﨑智也さん。スゴ腕ながらも和気あいあいとした職人集団だ。

自分が塗った壁は唯一無二。楽しくて仕方がない。

ダイナミックにモルタルを伸ばす。塗る以外にも、段取りや準備、下処理など、数多くの作業をてきぱきとこなしていく。身体が許す限り、左官の技を追求していきたいと意気込みを見せる彼女。各地で活躍する女性左官たちにもいつか会ってみたいそうだ。

玄関の作業を終えると、今度は基礎のモルタルの塗り替え作業に移った。片ひざを地面に着き、低い姿勢でさーっとモルタルを慣れた手つきで伸ばしていく。またたく間に塗り終え、一息つくひかりさんに、左官職人としてのやりがいを聞いてみた。「塗りづらい材料の場合、下地の塗り方や押さえ方など、いろいろ技術が必要で、平らに塗るのがけっこう大変。そういうのがバシッと綺麗に決まった時は、すごくうれしいですよ。色や模様もさまざまだし、それぞれのお客さまの要望に応じて材料や塗り方なども変えるので、自分が塗った壁は世界にたったひとつ。そういうところがこの仕事の醍醐味かな。やっぱり、完成後にお客さまから『あなたに頼んでよかった』という喜びの声をいただくと、左官をやっていてよかったと、心から思いますね」と、目じりを下げた。

ひかりさんは今、左官の仕事が楽しくて仕方ないのだという。家事や幼い子ども達の子育てなどで溜め込んだストレスも、壁に向かって思い切り発散しているそうだ。「最近引退してしまった先輩親方がいて。その背中を見つめながら〝いつか追いついてみせる〟と、ずっと思い続けていました。私の目標であり、心から尊敬する親方と一緒に仕事ができくなったのは残念だけど、今は一日でも早く、親方みたいにすごい技を身につけて、誰もに認められる左官職人になりたい。そしていつか、私達の家や子ども達の家の壁を、私が全部塗りたいです」と、愛嬌たっぷりに夢を語るひかりさん。

おでこに浮かぶ玉のような汗と一緒に、ご主人からの贈り物だという、おそろいのピアスがキラリ、瞬いた。

平松 ひかり

仕事と幼い2児の子育てに日々奮闘中のママさん職人。座右の銘は「案ずるより産むが易し」。アーティスト「w-inds.」の熱狂的ファンで、推しメンは緒方龍一。ライブやイベントにも参加し、ストレスを発散している。好きな曲は『New-age Dreams』。

取材協力/夢左官

岡山県岡山市中区関256-19
☎086-278-3276
http://yumesakan.jp

※文章の内容、写真は2018年の取材当時のものです。

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