家は工業製品とは違い、一棟一棟が人間の手作業によってつくり上げられていく。そこに携わるのは家づくりのプロフェッショナリスト、つまり職人たちである。機能性やデザイン性に優れ、自分たちが描く理想の住まいをかなえるには、家づくりの現場を知り尽くした腕利き職人たちの卓越した技術が欠かせない。腕利き職人たちは、自身が手掛ける一棟一棟の家づくりに丹精込めて向き合い、そこに暮らす人々の幸せを祈りながら、今日もひたすら作業に汗を流している。よりよい家づくりと自身の技術向上を追求し続ける岡山県の家具職人に、一貫して情熱を注ぎ続ける家づくりへの思いを聞いた。
<取材・文/鎌田 剛史 写真/鈴木 トヲル>
人生は、行き当たりばったり。~家具職人/藤原 秀人さん~
心地よい暮らしを彩る家具。住まいの雰囲気や、住み手一人ひとりのライフスタイルと趣味趣向に合わせた、おしゃれで高品質な家具を生み出す職人が岡山県岡山市にいる。引く手あまたの人気家具工となった今でも、あくまで飾らず自然体。一筋縄ではいかなかったという紆余曲折の職人人生から学び得たものは、思いのままに、何度でもひたすら挑戦し続けることだった。
迷わず、惑わず、ためらわない。その方が猛烈に面白くないですか?
開口一番「そんなにかしこまって語るほど、僕の経歴は大したものじゃないですよ」と少年のようなまなざしではにかみながら、おしゃれにたくわえた顎のひげをなでる。「行き当たりばったりでここまで来た感じ」と冗談交じりにひょうひょうと話す藤原さんの人生は、パワフルでエキサイティング、そして、ロマンチックである。
ユーモアに富んだ軽妙な語り口がチャーミングな藤原さんは、高校卒業後に大阪府のOA機器販売会社に就職した。「仕事は順調でしたが、1995年に発生した阪神・淡路大震災後の不況で先輩の中堅社員たちが次々とリストラの憂き目に合うのを見て、自分はサラリーマンのままでいいのだろうかと疑問を抱くようになって」。そんな時、ふと手にした雑誌で、おしゃれな家具を製造する岡山のとある店が紹介されているのを目にした。「自分の腕ひとつで勝負する職人の姿に惹かれるものがあって。気付けば新幹線に乗って故郷に向かってましたね(笑)」。これが藤原さんの人生におけるターニングポイントとなった。それから現在に至るまでの藤原さんの歩みは、なかなかのロング・アンド・ワインディング・ロードである。大まかな流れを列挙するとこんな感じだ。
アポなしで飛び込んだ雑誌掲載店Aの専務に雇ってほしいと直談判。「俺の代になったら一緒にやろう」と誘われる。
→大阪に戻る際、岡山駅のキオスクで時間つぶしに立ち読みしていたら見つけたインテリアショップのBも気になり、予定を変更しその足で店に向かう。
→Bのオーナーに「どうすればあなたのようになれるのか」と詰め寄る。オーナーの答えは「職業訓練校に行くのが手っ取り早いんじゃない?」。
→勢いにまかせて大阪の会社を辞め、岡山に帰郷。職業訓練校を受験するもなんと不合格。
→Bのオーナーに不合格したことを告げると「うちにおいで」と誘われ、アルバイトとして下働きの日々を過ごす。
→職業訓練校に欠員が出たことから運よく入学を果たし、木工家具の製作技術を学ぶ。
→卒業後、訓練校で知り合った2人とともに木工家具の製作集団「家具工房うっちゃり」を立ち上げ、家具職人として独立。藤原さんの祖母が住んでいたボロボロの古民家を工房兼住居にして家具製作に没頭→家具だけでは食べていけず、著名な家具作家の製作補助のほか、飲食店、パチンコ店などのアルバイトで食いつなぐ。
→「うっちゃり」の活動はなかなか軌道に乗らず。理想と現実のギャップから仲間も就職・結婚で去ってしまい空中分解。
→藤原さんも結婚。「5年やってダメなら家具職人を辞める」と決意し、デザイナーの奥さまと家具製作に勤しむ。展示会などを開いて売り込むもなかなか売れず。
→子どもが生まれたが生活は一向に楽にならず。相変わらずバイト三昧の日々。この時の困窮生活を綴った奥さまのブログが人気に。
→鳴かず飛ばずが続き、ついに家具職人を辞めて一般企業に就職しようと決意。お世話になったBのオーナーに報告したところ「うちで手伝ってくれないか」と誘われ、そのまま思い留まる。
→いろんな取引先を回る中で、フラッシュ合板をダボや木ネジ、接着剤を使用して作るフラッシュ家具と出会い、そのままBで約2年間勉強させてもらう。この期間に現場作業やCAD作成もマスター。
→「あと1年間、勝負させてほしい」と奥さまに懇願し、再び独立。その後、無垢材とフラッシュ合板を組み合わせた藤原さんの家具は瞬く間に評判を集めるようになりオファーが殺到。住宅家具や店舗什器の製作に日々忙殺される。
→一旦すべてをリセットし住宅用の家具製作のみに集中する…といった具合だ。
人生は楽しんでナンボ! Happy Go Luckyでいこう!
現在もオーダー家具製作で引っ張りだこの藤原さん。家具職人として山あり谷あり、紆余曲折の道をたどってきたが、一貫していたのは「思うがままに、ひたすらチャレンジする」という哲学だ。「ジェットコースターのようなこれまでの経験がなかったら今の自分はありませんでした。出会ったすべての人たちとのご縁に助けられたことも多く、無駄なことはひとつもなかったです。人生どこで何があるか分からないから、その瞬間に自分が『面白い!やってみたい!』と思ったことには、後先考えずに挑戦したいし、顧客に驚きと感動を与えられるような作品を生み出し続けたいですね」。
近ごろは家具製作のみならず、中古住宅のリノベーションを1棟丸ごと手掛け、販売する事業にも着手している。「人生は楽しんでナンボでしょ!」とやんちゃな笑みをこぼす藤原さん。肩の力を抜いて突き進むその生き方はまぎれもなく、“Happy-go-lucky ”である。
藤原 秀人
1977年5月20日生まれ。「家具工房 ファムグリード 株式会社」代表取締役。それぞれの住まいの用途に合った完全オーダー家具を製作。デザインから木材加工、組み立て、塗装まで一貫して手掛けている。無垢材とフラッシュ合板の特性を生かした高品質な製品は人気を集めている。休日はもっぱら太平洋や日本海でカヤックフィッシングに熱中。
取材協力/家具工房 ファムグリード 株式会社
岡山県岡山市南区浦安西町69-5
☎086-250-3665
https://fam-greed.co.jp
※文章の内容、写真は2020年の取材当時のものです。
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