温暖な風土に育まれながら、人々の生活とともに進化・発展を遂げてきた瀬戸内の民家。古より長い年月を経た現在でも、瀬戸内沿岸の各県には歴史的にも貴重な質の高い古民家が現存している。その数ある古民家の中から、「武家屋敷のような様相を見せる庄屋屋敷」を訪ねた。
<取材・写真・文/鎌田 剛史>
渡部家住宅
重要文化財/愛媛県松山市
まるで武家屋敷のような、荘厳な佇まいを見せる豪農の家。
愛媛県松山市東部、のどかな田園地帯が広がる東方町に現存する豪農住宅。現在の東温市南方で代々庄屋を務めていた渡部家の三男・長綱が松山藩からの命を受け、この地域の庄屋となって分家したのが始まりで、1866年にこの邸宅を築いた。主屋のほか、長屋門、米蔵、道具蔵、土塀4棟、棟札および3,000㎡の敷地が1970年に国の重要文化財に指定されている。
「渡部家住宅」は、江戸時代から明治時代にかけ庄屋として栄えた豪農の居宅。1866年に建てられた主屋のほか、長屋門、米蔵、土塀などから成る。主屋は木造一部2階建てで、部分改修を重ね、近代の上層農家建築の代表例として姿を残す。主屋玄関を入ると広い土間がある。天井を見上げると、極太の梁が複層のあらわしになっており、訪れた近隣農民に庄屋としての財力と威厳を示すことで、一揆や暴動を企てないようにするのが狙いだったという。
主屋南側の座敷は非日常の空間で、主に松山藩主など上級武士の応接間として使われた。北側の部屋に比べて天井が高いのは、刀を振り上げた際に切っ先が天井に当たらないようにするため。槍やなぎなたなどの武器も常備していた。表座敷横の神前の間には、来賓の護衛が隠れたり、逃亡用の通路として使うための「どんでん返し」がある。一見普通の壁だが押すと後ろに開く仕掛け。
松山藩主などの来賓を迎える華やかな南側の部屋に比べると、家族の居住空間であった北側はシンプルで落ち着いた雰囲気。当主の奥座敷や十二畳の間、台所などが当時の姿のまま現存している。豪華な装飾が施されている一方で、普段は神仏を熱心に信仰し、つつましやかな生活を送っていたようだ。
屋根裏部屋へと続く「隠し階段」も襖の裏に隠されている。屋根裏部屋は敵が襲来した際、小窓から火縄銃で迎え撃つために造られた。
屋敷の周りには堀と水路が張り巡らされ、亀甲型の石垣が隙間なく丁寧に積まれている。所々にハマグリや紅葉の絵が控えめに彫られていたり、ひとつの石だけ扇形になっていたりと、ここにも職人の粋なはからいが見られる。主屋西側には広大な庭があり、松などの木々や置き石のほか、上から見ると「心」という文字に見える「心字池」が心和む風景を織りなす。
【取材協力/一般財団法人重要文化財渡部家住宅保護財団】
渡部家住宅
所在地/愛媛県松山市東方町甲1238
開館時間/日曜日のみ10:00~16:00 入館料/無料
定休日/平日(団体での見学の場合は事前予約で公開可能) ※無料駐車場有
問い合わせ/089-943-8108