木、草、土、石といった自然素材を高度な技術で加工した伝統工芸品は、はるか昔より日本人の生活や文化を支え続けてきた。人間の磨き抜かれた手から生み出される品々の繊細さと美しさは、日本が世界に誇れるもののひとつ。瀬戸内にも多彩な伝統工芸品が今も残り、愛され続けている。古来より人々の暮らしに寄り添ってきた広島の伝統的工芸品を一堂に紹介。味わい深い匠の逸品を、住まいの一部にアクセントとして取り入れてみてはいかがだろう。
<取材・文/鎌田 剛史>
目次
繊細な手仕事が生む匠の逸品
熊野筆(くまのふで)
広島県熊野町は筆づくりが盛んな街。約180年前の江戸時代末期ごろから筆の生産が始まったといわれ、現在でも日本一の生産量を誇る。経済産業大臣指定の伝統的工芸品。
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広島仏壇(ひろしまぶつだん)
広島仏壇は、熟練した職人たちによって金仏壇を中心に作られている。金仏壇ならではの優美な美しさを誇るとともに、製造過程において主要な工程のほとんどを職人が手仕事で行っていることも大きな魅力のひとつ。経済産業大臣指定の伝統的工芸品。
宮島細工(みやじまざいく)
杓子、ろくろ細工、宮島彫りで知られる宮島細工。約200年前に宮島で出家し僧となった誓真が杓子を考案したのが始まりと伝えられている。塗りや色が少ない木地仕上げが特徴で、木本来のぬくもりが感じられる。経済産業大臣指定の伝統的工芸品。
福山琴(ふくやまこと)
福山琴の歴史は、1619年に水野勝成が福山に城を築いたころに始まるとされている。 江戸時代後期に京都で箏曲を伝授された琴の名手・葛原勾当が帰郷して備後・備中で活躍。福山琴の名を高めたといわれている。経済産業大臣指定の伝統的工芸品。
川尻筆(かわじりふで)
川尻筆は江戸時代末期から呉市川尻町で作られている。京筆の流れを汲み、草書・かな・日本画の精密画などに適した筆で、しなやかな切っ先が特徴。最初から最後までひとりの職人で製作されており、大量生産はできない。経済産業大臣指定の伝統的工芸品。
一国斎高盛絵(いっこくさいたかもりえ)
尾張藩士中村市郎左衛門(右衛門の説もあり)を祖とする二代一国斎が江戸時代末期に広島に移住し、三代一国斎とともに研究を重ねた末に創作。漆器や木地製品を素材として、花・虫類などを漆で盛り上げて描いた高肉の漆工芸である。
銅蟲(どうちゅう)
江戸時代初頭、銅細工師の佐々木伝兵衛が仕事熱心なあまり「銅の蟲(むし)」と呼ばれたことに由来。 銅板を槌で叩いて整形した後、表面に「ツチ目」模様を施し、わらでいぶして磨き上げる。時代を経るごとに一層深い色と渋い光沢を帯びてくる。
三次人形(みよしにんぎょう)
江戸時代から作り始められたと伝えられ、粘土を焼成し彩色したもので、独特のつやがあり、別名「光人形」とも呼ばれている。三次地方では初節句に子どもの成長を願って三次人形を贈る風習があり、古くから親しまれている。
宮島焼(みやじまやき)
江戸時代から焼かれ始めたといわれ、厳島神社本殿下の砂を入れたことから 「お砂焼」の名でも知られている。何度か窯の興廃を経て、明治時代中期に現在の宮島焼の確固たる基礎が固められた。清楚な雰囲気に特色がある。
戸河内刳物(とごうちくりもの)
宮島細工を起源とし、藤屋大助が江戸時代後期に創始したといわれ、大正時代初期に福田李吉が戸河内町(現在の安芸太田町)でその技術を伝えた。ノミ・鉋・柳刀などを用いた手作りのお玉杓子は「浮上お玉」として愛用されている。
戸河内挽物(とごうちひきもの)
起源は明治時代中期、島根県から移住してきた石田富次から木地作り・漆塗りの技術が伝えられたことによる。ろくろで木材を回し、刃物で削り出した木工品で、漆を塗ることもある。刃物の切れ味により表面はなめらかで光沢を放つ。
備後絣(びんごがすり)
福山市出身の富田久三郎が江戸時代末期によこ糸とたて糸の絣になる部分を竹の皮で巻き、井桁絣を作ったのが起源。 明治時代初期には備後絣として全国に売り出され、素朴な模様と飽きのこない味わいで人々に愛用され続けている。
【写真提供/広島県、仿古堂】