簡単には旅に出られない昨今。例えば、自分の住む地域が舞台となった文学作品を読みながら、その場所の情景や雰囲気についてイメージを膨らませるとともに、いつかそこへ足を運ぶための予定を今のうちに立ててみるのはいかがだろう。そんな「文学の旅」を楽しめる瀬戸内各県のおすすめスポットをご紹介。当誌の誌面を華やかに彩る「せとみんガールズ」のメンバーが、文学の息吹が薫る場所として名高い山口県山口市の湯田温泉と長門峡へ1day tripを敢行。今も語り継がれる天才詩人・中原中也のゆかりあるエリアを気ままに散策してきた。
<取材・文/鎌田 剛史 写真/鈴木 トヲル モデル/横田 友美>
目次
夭折の天才詩人・中原中也の故郷と、愛息の死を悼んだ人里離れた渓谷。
『汚れつちまつた悲しみに』『一つのメルヘン』をはじめ、30歳で早世するまでに350篇を超える詩を残した近代詩人・中原中也。その生まれ故郷は山口県山口市にある「湯田温泉」だ。中也の遺稿や遺品などの貴重な資料を公開する記念館のほか、中也の詩を刻んだ石碑も点在している。地名を織り込んだ作品がほとんどない中也の詩の中でも数少ない、地名を冠した詩の一つが『冬の長門峡』。湯田温泉から北に約30㎞離れた「長門峡」は、山口市と萩市にまたがる名勝地。愛息・文也を2歳で失い、深い悲しみにくれる中也が、阿武川が流れる山峡の情景を淡々と詩に綴りながら、わが子の死を悼んだ所縁のある場所だ。
『中原中也詩集 』
中原 中也 著・文 角川春樹事務所
Spot 01 「井上公園」
明治の元勲・井上馨の生家跡につくられた公園。JR湯田温泉駅の北、温泉街エリアの入口に位置し、園内には中原中也の詩「帰郷」の一節を刻んだ詩碑をはじめ、俳人・種田山頭火の句碑、三条実美ら7人の公卿の忠誠をしのぶ七卿の碑などが立てられている。また、敷地南側には実美らの宿舎に当てた「何遠亭」を再現した建物があり、内部の和室を自由に見学したり、縁側で一息つくことも可能だ。このほか無料で利用できる足湯や、子どもが遊べる遊具なども整備されており、観光客はもちろん、地元住民の憩いの場所としても親しまれている。
園内には湯田温泉出身の中原中也の詩「帰郷」の一節が刻まれた碑が立っている。
JR湯田温泉駅から温泉街に向かう道沿いにある「井上公園」。かつてこの地には井上馨の生家があり、幕末に京都の政変で都落ちしてきた三条実美ら七卿の宿舎にもなったという。
「何遠亭」は誰でも自由に入館可能。館内での休息もOKだ。建物の隣にはコイの泳ぐ池がある庭園も。
縁側で中也の詩を読みながら物思いにふけるのも一興。
Spot 02 「中原中也記念館」
中也の遺稿や遺品を中心に貴重な資料を収蔵・公開している記念館。館内の展示は、中也の詩業や生涯を伝える「常設展示」、1年ごとに展示物が入れ替えられる「テーマ展示」、年に数回のサイクルで催される「企画展示」の3部構成で、中也の生涯をたどりながら、美しい心のリズムをうたった詩の世界を深く感じることができる。中也に関する書籍を自由に閲覧できる「中也記念室」や、音楽資料を視聴できる情報コーナーのほか、中也のトレードマークである黒い帽子やレターセット、ポストカードなどのオリジナルグッズの販売コーナーもある。
この場所は中也の生家である「中原医院」の跡地。「公共建築百選」にも選ばれている建物の正面では「中原中也誕生之地」の碑と共に、中也が幼少のころから立っていたという大きなカイヅカイブキの木が訪れた人を出迎えてくれる。
中原中也記念館
住所/山口県山口市湯田温泉1-11-21 開館時間/5~10月:9:00〜18:00(最終入館17:30)、11~4月:9:00〜17:00(最終入館16:30) 料金/一般¥330、大学生・専門学校生¥220、18歳以下無料 休館日/月曜日(祝日の場合は翌日)、毎月最終火曜日、年末年始、臨時休館あり ☎083-932-6430 https://chuyakan.jp
Spot 03 「狐の足あと」
「中原中也記念館」の正面にあり、湯田温泉の観光スポットや食べ歩きの情報などが収集できる観光回遊拠点施設。中庭を眺めながらくつろげる「窓辺の湯」のほか、紅葉やキンカンなどの木々が植えられた中庭にある「四季の湯」、掘りごたつのようなカウンター席で、中也の詩にオリジナルのメロディーを付けた曲を聴きながら足湯につかることができる「言音の湯」の3つの足湯を利用でき、それぞれの足湯ではういろうをアレンジしたスイーツメニューや、山口地酒の利き酒セットなどを楽しみながらリラックスしたひとときを過ごせる。
町中にありながらものんびりした雰囲気に包まれた屋外の足湯「四季の湯」(有料)。
温泉の沸き出る場所から下に向かって徐々に湯の温度がぬるくなっていくので、好みに応じた温度の場所を選んで足を漬けよう。
足湯に漬かりながらスイーツやドリンクも楽しめる。湯田温泉ゆかりの動物・白狐をあしらったプリンや、中也のラテアートがかわいいカフェラテなど、この地ならではのメニューが豊富。
気軽に温泉を楽しむにはもってこいの足湯。癒やしのひとときをゆっくりと満喫して。
狐の足あと
住所/山口県山口市湯田温泉2-1-3 営業時間/8:00~22:00 入館無料、料金/足湯入浴料は一般¥200、小中学生¥100 定休日/無休 ☎083-921-8818 https://www.yuda-onsen.jp
Spot 04 「温泉街散策」
中原中也が生まれ育った湯田温泉。街のあちらこちらには中也ゆかりの地が点在するほか、歴史の風格漂う佇まいの老舗旅館や、柳の木が揺れる路地など、温泉街ならではの光景が広がっている。温泉の湯はアルカリ性の高い泉質でクレンジング効果があり、やわらかく肌によくなじむのが特徴。各所にある温泉施設や街角の足湯に漬かり、その効果を確かめて。
街の中に点在する7ヵ所の足湯は自由に利用可能。足湯に癒やされながら、居合わせた観光客や地元の人たちとのおしゃべりが弾むことも。
地元に語り継がれる白狐の伝説から「白狐の湯」とも呼ばれている湯田温泉。街のいたる所で白狐の像やイラストに出会える。
伝統的な和風建築の老舗旅館も営業している。
柳並木のある温泉街ならではの風景。
源泉の湯の流れが見学できる施設「温泉舎(ゆのや)」。天然温泉が地下約500mから湧き出る様子が見られる「受湯槽」や、自然石を利用した「飲泉場」、温泉の湯気と香りが体感できる「湯の川」などがある。
「温泉舎」の建屋の前には、中也ゆかりの今は無き旅館「西村屋」に生えていた松の木が移植されている。
街の北側を東西に走る錦川通り沿いに立つ中也の詩碑。
街のあちらこちらに延びる小路には、「湯の香通り」「中也通り」といった愛称が付けられている。
Spot 05 「権現山」
湯田温泉街の北東にある標高約40mの里山で、山頂に熊野権現を祀る「熊野神社」が鎮座していることから「権現山」と呼ばれるようになったという。湯田温泉が発見された由来として語り継がれている「白狐伝説」の舞台でもあり、神社の境内付近には、神秘的な雰囲気が漂う森の中の散策路「白狐の小径」や、遊具で遊べる「白狐公園」が整備されている。中原中也は幼少期によく学校をさぼってはこの山に登り、街の風景を眺めていたのだとか。その後成人してからも、帰省した折には息子の文也を肩車して神社まで散歩に出かけたそうだ。
湯田温泉の発祥の地ともいわれている「権現山」。今から約800年前、山の麓にあった寺の住職が、境内の池に毎晩傷ついた足を浸しにやって来る白狐を見かけた。その池の水をすくうと温かかったので、池をさらに深く掘ってみたところ、温泉がみるみる湧き出した…という「白狐伝説」が開湯の由来として伝わっている。
Spot 06 「長門峡」
国指定名勝の「長門峡」。阿武川に沿って延びる約5.1kmの遊歩道からは、奇岩、急流、深淵など、変化に富む雄大な景色を満喫できる。春は桜、夏は新緑、秋は紅葉、冬は雪景色と季節ごとに違った表情を見せ、何度も足を運びたくなる渓谷だ。長門峡の入口に架かる「洗心橋」の近くには、中原中也の詩『冬の長門峡』が刻まれた詩碑が立っている。
「長門峡」の入口にある道の駅のレストランでランチタイム。地元・阿東地域で飼育されている「あとう和牛」のすき焼きを堪能(「道の駅 長門峡 くんくのだいち」 https://kunkunodaichi.com)。
中也の詩『冬の長門峡』の一節「蜜柑のごとき夕陽」を眺めたとされる場所が「洗心橋」。道の駅の敷地内には、現在の橋に架け替えられる前の古い欄干が残されている。
洗心橋を望む広場に立つ中也の詩碑。
洗心橋から萩市側入口の「竜宮淵」までは約5.1kmの長い道のり。岩がむき出しで滑りやすい箇所もあるので、歩きやすい服装と靴で訪れよう。
エメラルドグリーンに輝く水面が広がる雄大な景色に心洗われる。
道中には「雪舟滝」「白糸の滝」をはじめとする滝も流れている。
手彫りのトンネルを通り抜ける箇所も。
阿武川の急流をまたぐ「紅葉橋」。木々の緑と真っ赤な橋が美しいコントラストを描く。
歩き始めてから約100分で萩市の「竜宮淵」に到着。付近にある休憩所では名物のアユ料理も味わえる。
雄大な自然の中に赤い吊り橋が映える絶景は、長い遊歩道を歩いてきたご褒美。愛息を失った深い悲しみを背負い、長門峡を訪れた中也の瞳に、この渓谷美はどのように映っていたのだろうか。陽光を受けてキラキラと輝く阿武川の流れを見つめながら、しばし思いを馳せてみる。
湯田温泉の魅力は「湯田温泉旅館組合公式サイト」でチェック! https://yudaonsen.com
長門峡の魅力は「あっとほうむ阿東」でチェック! https://www.ato-town.com
瀬戸内の文学にスポットを当てた読み応え十分の特集記事は本誌でぜひチェックを。
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