目の前に瀬戸内海、背後には中国山地と四国山地を構える瀬戸内地域の自然環境。そしてその自然に育まれた人文化と歴史。家の窓からのぞく遠くの山々、街に点在する田畑やふるさとの料理。これらは全て「風土」をひもとくことで、地続きにあることが理解できる。「風土」を知り、瀬戸内がどのような地域であるのかという解像度を上げることで、暮らしは豊かになるのではないだろうか。全5回に分けて、本誌に掲載しきれなっかった情報を織り交ぜつつ、瀬戸内の風土についてレポートしていく。
今回は第1回「瀬戸内海について」。瀬戸内と言えば、まずは瀬戸内海。この海を知らずして、瀬戸内は語ることはできない。
内海、潮流、栄養、全てが特別な「瀬戸内海」。
まず、本サイトでの「瀬戸内海」を定義しておきたい。瀬戸内海は、接地している都道府県が多いことや、湾や灘の名称に富んでいることから、定義が難しい海でもある。ここでは「瀬戸内海環境保全特別措置法」に則り、紀伊水道、大阪湾、播磨灘、備讃瀬戸、備後灘、燧灘、安芸灘、広島湾、伊予灘、周防灘、響灘、豊後水道までを瀬戸内海と定義することにする。さらに、「瀬戸内地方」は中国山地より南、四国山地より北という範囲内での兵庫県、岡山県、広島県、山口県、徳島県、香川県、愛媛県としたい。
さて、瀬戸内海の特徴についてさっそくご紹介しよう。最大の特徴は、周囲を陸地に囲まれた内海であることだ。内海のことを、「閉鎖性海域」ともいう。内海は日本に80カ所ほどあるのだが、中でも瀬戸内海は日本最大の広さを誇っている。形を見てみると、南北が15~55kmに対し東西は450kmほどある細長い形をしている。面積で見てみると、21827k㎡もある。次に広い内海が北海道にある噴火湾で、面積は2485k㎡。このように比較してみると、瀬戸内海の広さは群を抜いていることがわかる。
また、内海であるために気象や河川の流入による影響を受けやすいという特徴も持っている。塩分濃度は太平洋が34~35%の塩分濃度であるのに対し、瀬戸内海では30~34%と低くなっている。特に中央部から東部にかけては、一級河川が流入しているために塩分濃度が低い傾向にある。そして、季節や天候によって水温が激しく変化する。これは、深度が浅いほど、熱しやすく冷めやすいという海の性質のためだ。瀬戸内海の平均深度は約38mと比較的浅い海となっているため、夏と冬では水温は大きく異なる。
次に、日本で最も潮流が速い海域であることも特徴だ。日本三大潮流の三つ全てが瀬戸内海の海峡であることからも、潮流の速さが特異であることを示しているといえるだろう。潮流が速い理由としては、①狭い海峡や瀬戸などが多く入り組んでいることと、②地形が複雑であるという二点が挙げられる。海峡という海の狭い通り道が、瀬戸内海各地に点在する灘や湾といった広い海をつないでいることで、強く速い潮流がうまれるのだ。また、強い潮流が海底を削ることで「海釜(かいふ)」と呼ばれる凸凹構造になっていたり、約700もの島々が存在していたりという地形の複雑さが、潮流の強さを助長しているのだ。そして、海水を太平洋と交換する役割を担っている紀伊水道や豊後水道は、大量の海水が出入りするため、特に潮流が速くなる。
そして、潮の干満差が大きいことも特徴の一つだ。干満差の激しいところでは、干潮時と満潮時の差が2m~4mほどにもなる場所もある。しかし水道付近の太平洋と瀬戸内海の近接部分では、満潮時の「上げ潮」と干潮時の「下げ潮」が水位差を伴って隣接することがある。その潮流の水位差と速度差によって、水流に回転が生じる。この回転こそが、渦潮を発生させる一因となっているのだ。その渦潮の代表が播磨灘と紀伊水道を結ぶ位置にある、徳島県の鳴門海峡だ。鳴門海峡の潮流は10ノット(時速18.52㎞)に及び、非常に見事な渦潮となっている。
最後に、多くの河川が流入しているという特徴に触れたい。流入河川の数は非常に多く、一級水系が21、二級水系は644に上る。これらの水系から、植物プランクトンの生育において重要な「栄養塩」が多く瀬戸内海に流れ込んでくる。そしてその「栄養塩」を、潮流が瀬戸内海全般に運んだり、海底に沈んだものを海表層へ運んだりする作用を担っているのだ。そのため、「栄養塩」が一カ所に滞留することなく瀬戸内海全体に行き渡るために、「海の幸」が豊富な海となっているのだ。
「瀬戸内海」のちょっと変わった成り立ち。
地形的成り立ち
さて、ここからはどのように瀬戸内海ができたのか、その成り立ちを見ていきたい。今から約1600万年前まで遡る。この時期、大きな地殻変動が起きたことで日本列島はユーラシア大陸から分離する。それに伴い、現在の長野県から九州付近までに広がる低地に海が侵入し、東西に細長く広がる海が形成される。この海は非常に暖かい「亜熱帯」の海となっており、珊瑚やマングローブが生息していたことが分かっている。これが「古瀬戸内海」である。
そして約1400万年前、火山活動や地殻変動の影響で「古瀬戸内海」は平坦な陸地となり、この名残を強く残しているのが、兵庫県にある六甲山である。六甲山の山頂付近は平坦面が続いており、平坦な土地が押し上げられてできた山であることを物語っている。その後、氷河期が訪れると「古瀬戸内海」は氷に覆われた平原地帯となる。
そして氷河期の終わりとともに、氷河の融解によって海面が上昇。平原に海が流れ込んでくると、再びそこは海となり、現在の瀬戸内海が形成されるのだった。約6000年前には、現在の瀬戸内海の形と瀬戸内地域の温暖な気候になったとされている。
名称的成り立ち
名称的成り立ちも見てみよう。「瀬戸内海」という名称は、明治時代に翻訳語からうまれた言葉というおもしろい成り立ちを持っている。1870年にスイスの政治家であるエメ・アンベールが著書『幕末日本図絵』内で「The Inland Sea」と表記したものを、江戸時代にはもう存在していた「瀬戸」という言葉を用いて「瀬戸内海」と翻訳したのだ。そして、明治後期には「瀬戸内海」という名称は一般に浸透し、今では国内にとどまらず、海外でも「SETOUCHI」の名は広がっている。
参考文献
- 『瀬戸内海事典』南々社.2007
- 『海と風土-瀬戸内海地域の生活と風土』地方史研究協議会.雄山閣.2002
- 『新・瀬戸内海文化シリーズ1 瀬戸内海の自然と環境』柳哲雄.瀬戸内海環境保全協会. 1998
- 『新・瀬戸内海文化シリーズ2 瀬戸内海の文化と環境』柳哲雄.瀬戸内海環境保全協会.1999
- 『瀬戸内海の環境保全 平成13年度 資料集』瀬戸内海環境保全協会.2002.
- 『瀬戸内における水寛容を基調とする海文化』瀬戸内海環境保全協会.2015
- 『ふるさと日本の味9 瀬戸内・黒潮海の幸』第二アートセンター.集英社.1983
- 『瀬戸内海地域誌研究 第3輯』文研出版.1991
- 『宮本常一 瀬戸内文化誌』宮本常一.八坂書房.2018
- 『瀬戸内四国の自然』伊藤猛夫.六月社.1965
少しでも「へ~!」と思ってくれたら幸いである。知ることから得られる楽しみも、きっとあるはず。
第2回は「瀬戸内の気候について」をレポート。お楽しみに!
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